26-6 ★トオル、君を忘れない

森徹のオリンピック
清水浩一

森徹。モーグルの選手。長野オリンピックの代表になりながら、念のために受けた人間ドックで末期がんを告げられ、25の若さでこの世を去った。
7月に倒れながら血液検査では病気が見つからず、代表選考で見事オリンピック代表に。
9月に人間ドックを受け、余命3ヶ月を告げられる。年を超せないと言われ、オリンピックを断念。
しかし、2月の長野五輪を観戦(兄の敏は、選手として出場)、3月の全日本選手権に出場。
6月29日、25の誕生日を迎える。
7月4日、死亡。
オリンピックのためだけに生きてきて、最初は、あと1年あったらオリンピックに出られたと残念がっていた彼が、今までオリンピックのことばかりで思い出がない、思い出を作るために後、1年生きたいと切望する心境の変化には、涙しかなかった。
闘病記は、いくつも読んだことがあるが、とにかく、どのページを読んでも涙が止まらない。
図書館の本なのに、涙で汚してしまった。
この一家は、両親ともインターハイのチャンピオンで、母方の祖父も選手、大叔父も戦争でオリンピックが中止にならなければ出場確実と言われたスキージャンパーだった。
終戦3ヶ月前に特攻隊員として戦死。22歳。
父もオリンピック確実と言われながら、骨折によって逃す。
新聞は、悲劇を書き上げ、その夢を孫世代が果たすだろうと書いていたようだ。
しかし、徹さんの癌。三兄弟全員スキー選手で、二番目のお兄さんがオリンピックに出てはいるが、悲劇が続いた。
これは、森家の悲運というよりは、それだけオリンピックに出るというのは、才能だけではない大変なことなのだと思った。
それだけに、直前に夢を断たれた彼の無念は、想像して余りある。
カナダ人との恋人との結婚も考えていたようだ。
里谷選手が金メダルをとったのは知っていたが、その前後に彼の特集番組があったことは知らなかった。
追悼ページが今も運営されているのは知っている。
この本の内容とも被るが、そこを読んで、更にこの本を読んでも号泣だった。
カナダ留学時代、信号無視で突っ込んできた車をローラーブレードに乗ったまま、バンに手をついて身を翻し、車の屋根をローラーブレードで渡って歩道の向こう側に降りたような運動神経を持った人だった。
普通の人だったら、そこで交通事故で死んでいる。
若さと鍛えた体が内部の癌の進行と別に体を一時奇跡的に回復させもした。
癌告知からの短い間に絶望と希望に揺れる心境は、とても切ない。