141-16 ★★宮廷料理人アントナン・カレーム ランダムハウス講談社

本名、マリー・アントワーヌ。言うまでもなくマリー・アントワネットから命名された。菓子の由来物語で、やたら名前の出てくる料理人。
革命前のフランスに生まれ、革命で混乱するパリで、貧しさのために父親に捨てられた。24人兄弟の16番目で、10歳の時で、そこから這い上がり、政治家タレーランに雇われ、ナポレオンやロシア皇室のためにも料理した、料理人の王様にして、王様の料理人と称されるまでになる。
パティシエと聞いていたが、今で言えばシェフである。
今でも本場ではパティシエは惣菜も作るものらしいが、レストランは革命を期に出来たものであり、政治が混乱する中レストランを経営するよりは、どこかの屋敷に雇われながらフリーランスで偉い人の晩餐会請け負ったりする方が実入りも良いし、安全だったらしい。
彼は、現代フランス料理の祖とも言われ、ソースを研究して4つの系統にまとめ、さまざまな料理器具を考案し、コック帽を考案し、現在のフランス式サービス法を普及させようとした。(当時のフランス式は、最初に全ての料理を出すビュッフェ方法で、ロシア式サービスと言われるものが、現代のような1皿ずつサービスするものであった。彼自身がサーヴすることもあった。)
彼を拾ったのは安食堂のオヤジだが、パティシエとして化学的方法を叩き込んだり、図書館(附属に版画室があった)通いを認めてくれて励ましたくれたのは、タレーラン出入りのパティシエであるバイイである。
彼は、図書館で古典建築に魅了された。
当時は、ウェディングケーキの祖のような菓子を建築的に積み上げるピエスモンテというものがあり、カレームもこれで有名になっている。
料理は建築に似ているを持論にしていた彼は、建築の本も書いており、多くの著作にカットも描いているので、絵の素養も相当あったようだ。確か菓子の型も相当考えていたと思うので、デッサン力、デザイン力にも優れていたと思う。
彼は、スターシェフのはしりであり、破格の報酬を得て皇室にも仕えている一方で、晩年は新興の金持ち銀行家のロスチャイルド家の料理人もしている。当時にしてみれば、フランス1の金持ちでも貴族を袖にしてロスチャイルド家に行くのは意外だったようだ。
ロスチャイルド家は、多額の報酬だけでなく、彼が執筆するための有給休暇を多く認めている。
アントナンは、当時の出版ブームの前から多くの著作を著した人物で、膨大なレシピと料理の裏話を残している。
ナポレオンは、食に興味なく、歯並びの悪いジョセフィーヌも晩餐会が好きではなかったようだ。
実務的なカレームは、貪欲で被害者妄想で、強欲で独善的な人物でもあったようだが、その才能とみてくれの良さで、時として魅力的にふるまうこともでき、様々な人々の支援を受けた。
人を信じない性格は、捨てられたトラウマによるものともされるが、バイイに感謝し続けたことやタレーランに紹介してくれたタレーランの財務官(彼も元料理人)にタレーランやバイイを差し置いて、最初の著作で献辞をささげているのを見ると、そこまでひどい人でもないと思うのだけど、どうだろう。
カレームの少し前にヴァテルという有名料理人がおり、ルイ14世の宴で魚が届くのが遅れたことを苦に包丁で割腹自殺をしたことが最大の有名エピソード(自称では10日寝てなかったとのこと)だが、それに対し、「かわいそうなヴァテル。ちょっとおかしくなっていたんだな」というコメントを残しているのが笑った。
頭脳明晰で実務に長けた人だったから出たコメントだったとは思うんだけど。
伊達男と呼ばれたそうだが、当時のシェフの職業病の木炭をたく煙に長時間のさらされることによる病のために享年は48歳。
45歳の時には、実年齢より相当老けていたようだ。